1月に江ノ島を探訪してきました。
江ノ島
江ノ島は、神奈川県の湘南海岸に浮かぶ小島です。
この島には日本三大弁財天の一つで、裸弁財天・妙音弁財天(みょうおんべんざいてん)をシンボルとする江島神社があります。
弁財天は元々はインドの神聖な川に由来する女神で水の神様であることから古くは農業の神として信仰されていましたが、後宇多天皇(在位 西暦1274年-1287年)が蒙古軍を撃ち退けた御礼として勅額を奉納されたことから、戦いの神として信仰を集めるようになり弁財天信仰が広がりました。時は流れ江戸時代の戦の無い時代になってからは芸能・音楽・知恵の神として、また福徳財宝の神として信仰されるようになります。
江の島弁財天は、滋賀県長浜市の宝厳寺・竹生島神社、広島県廿日市市の大願寺・厳島神社とともに、日本三大弁財天のひとつとされています。
江の島弁財天参拝の玄関口となる青銅の鳥居は、古くは木製の鳥居でしたが1821年に青銅製で再建されました。正面の額には、「江島大明神」と書かれています。特徴的な筆跡は、弁財天のお使いである蛇をかたどっているとのことです。この青銅の鳥居は丁度仲見世が立ち並んでいる背景に溶け込んでいるようでうっかりお辞儀をして通るのを忘れてしまいそうになりました。
朱の大鳥居を見上げていると龍宮城のような神門が見えます。なんとも言えない門構えの瑞心門!
その先には何があるのだろうかとワクワクしてきました。
江島神社まで急な階段がしばらく続きます。階段数を数えながら歩いていましたが息切れとともに忘れてしまいました。
ひたすら何も考えないで登っていくところではないかと思います。
門をくぐった正面に弁財天童子石像が可愛らしく並んでいます。
ここで一休みしながら息を整えて。
江島神社(えのしまじんじゃ)
江島神社は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が須佐之男命(すさのおのみこと、スサノヲ、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと))と誓約(うけい『アマテラスとスサノヲの誓約』)された時に生まれた、海を守護する三姉妹の女神を祀る三社の総称です。
辺津宮(へつみや)
田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)をお祀りする辺津宮。田寸津比賣命は古事記では三女、日本書紀では次女とされていますが、江島神社では三女の扱いです。
辺津宮は江島神社の玄関口にあたる位置にあります。かつては下之宮と呼ばれていました。巾着袋の賽銭箱が目を惹く境内には、良縁を招くと言われる。御神木「結びの樹」があり、恋愛成就祈願の絵馬も奉納できます。
中津宮(なかつみや)
市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)をお祀りする中津宮。古事記では次女、日本書紀では本文では三女とされていますが、日本書紀の別の書ではこのあとに出てくる多紀理比賣命の別名とされています。江島神社では次女の扱いです。絶世の美女だったとされています。朱色が目を惹く社殿で美人祈願!・・・というよりも、このままをキープ出来ますようにとお願いしてきました。
奥津宮(おくつみや)
多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)をお祀りする奥津宮。古事記では長女、日本書紀では本文では長女とされてますが日本書紀の別の書では市寸島比賣命の別名とされています。江島神社では長女の扱いです。
龍神伝説発祥の地である江の島岩屋に一番近い宮になります。かつて岩屋本宮に海水が入り込んでしまう4月から10月の時期には岩屋本宮の御本尊を遷座していた場所でもあり、本宮御旅所と呼ばれていました。
拝殿天井にはどこからみても、こちらを睨んでいるように見える「八方睨みの亀」が描かれています。心を見透かされているような睨みかたに感じました。そんなカメを睨み返してみたけれど怖いです。
奉安殿
奉安殿ではご宝物を見学してきました。
八臂弁財天(はっぴべんざいてん)は国の重要文化財に指定されています。8本の腕にそれぞれ宝珠・剣・戟(げき)・鉤(かぎ)・輪宝・宝棒・弓・矢を持つお姿で端正な顔立ちをしており、勝運祈願の神として信仰を集めています。
対して、裸弁財天・妙音弁財天(みょうおんべんざいてん)は琵琶を抱えた全裸のお姿で優しい顔立ちをしており、音楽芸能の上達を願う人々から信仰を集めています。
この2つの像の周りに十五童子像が祀られています。十五童子は弁財天に仕える十五人の童子で、それぞれ、印鑰・官帯・筆硯・金財・稲籾・計升・飯櫃・衣裳・蚕養・酒泉・愛敬・生命・従者・牛馬・船車と呼ばれます。
奉安殿では写真は撮れませんでしたが、とても美しいお姿に感激してしまいしばらくゆっくり眺めていました。いろいろ展示されていたので時間を忘れてしまいそうでした。
龍宮(わだつみのみや)
江ノ島湧出の伝説を記した「江島縁起」では、かつて悪行を重ねていた龍が天女(弁財天)に恋をして悪行をやめたと言われています。その後、弁財天と龍神は江ノ島の「江の島岩屋」に長らく祀られ信仰の対象となっていました。現在、龍神はこちら龍宮の御祭神として岩屋の真上に鎮座されています。そのため江ノ島の中でも最強のパワースポットと言われているようです。意外とスルーされている方が多いかもしれませんが、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか
銭洗白龍王
かつては岩屋のご霊水で金銭を洗うと金運向上や財宝福徳のご利益があるとされてきましたが、現在はここ白龍池に移され「白龍王が授ける正常な水で不浄の念を洗い清めると福徳がもたらされる」と言われてます。
江の島大師
最福寺(高野山真言宗)の別印として、1993年に創建。円形の本堂は、美術館を思わせる石像で、国内最大級と言われる高さ6メートルの赤不銅像を安置されています。心穏やかに、ゆっくり落ち着いて、手を合わせることができました。
八坂神社
八坂神社に祀られている須佐之男命(すさのおのみこと、スサノヲ、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと))は八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したことでも知られています。『アマテラスとスサノヲの誓約(うけい)』によって江島神社に祀られる三女神が生まれたとされており、江島神社とは縁の深い神話の英雄です。
江の島岩屋
江の島岩屋は波によって削られて形成された洞窟で、弁財天信仰及び江島神社発祥の地とされています。古くは弘法大師や日蓮上人も修行したといわれており、養和2年(1182)源頼朝がここで奥州藤原秀衝征伐を祈願したとも伝えられています。
富士山の氷穴まで通じていると言われている奥行152mの第一岩屋と、龍神伝説の地と言われる奥行56mの第二岩屋があります。
第一岩屋
第一岩屋では、岩屋の歴史や資料が展示されていたり、ろうそくの貸し出しが行われています。ろうそくを持ちながら152m奥まで歩いていくと石像や石仏がここぞと並んでいて信仰の様子がわかります。江島神社発祥の地とされ、奥には祠が祀られていました。
第二岩屋
第二岩屋は、ろうそく無しで歩くことができます。
洞窟の天井にはイルミネーション施されてとても綺麗でした。
龍が綺麗鮮やかに様変わりして、ビックリするほどの声に心に芯が通った気がしました。
いつまでも鮮やかな光景が続くと良いですが………。いつもなのかわかりません。
稚児ヶ淵
岩屋の中をひと巡りして、稚児ヶ淵に降りて富士山を眺めました。江ノ島弁天橋から見る富士山も、岩屋橋から見る富士山も天気がよかったのでとても綺麗で壮大さをうかがうことができました。
戻る道は、登りばかりの急な階段ばかり!往復歩いていたらさすがに足が悲鳴をあげてしまいました。
辛いのと楽しいのが一緒になると気力と食欲でカバーできることがわかりました。
途中、暖かなおまんじゅうや海苔羊羹を食べたり、休憩したりとても満喫できました。
タイワンリスの姿も見ることができました。声はすれど姿が見えない!しばらく、探してしまいました。
イギリス式庭園サムエルコッキング苑ではチューリップがとてもかわいく咲いていました。暗くなると「湘南の宝石」イルミネーションが辺りを別世界のように変えてしまうようです。帰り途中からすれ違う人の方が多くなってきました。
ところで「江の島」「江ノ島」どっちが正解?
現地に行くと「江の島」「江ノ島」と表記が分かれていました。どっちが正解なの?と思って帰ってきてから調べたところ、1966年に住所表記が「江の島」に変更された影響で表記が分かれているようです。
当時は住所表記以外も「江の島」に統一しようという運動があったそうで、いくつもの例外がありますが、概ね1966年より前から存在するものは「江ノ島」(例えば、江ノ島電鉄の江ノ島駅、小田急江ノ島線の片瀬江ノ島駅)。それ以降に出来たものは「江の島」(例えば、湘南モノレールの湘南江の島駅)と分かれています。
江島神社の「江島」は、江ノ島湧出の伝説を記した「江島縁起」が由来で、明治元年の神仏分離(神仏判然令)により仏式を廃したときに「江島神社」となり、それが神社本庁の登録名となっています。
島の名称も、藤沢市のホームページには『神奈川県指定史跡・名勝「江ノ島」』となっていますが、市民向けの表記は「江の島」となっていました。
本記事では島の名称としては「江ノ島」を使用しました。
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